こんにちは。ライターのエポニムです。
みなさんは紙の規格にはA判とB判の2種類ある、というのはすでにご存じかと思います。
ノートやルーズリーフはB5、クリアファイルはA4といった形で、日常の様々な場面で使い分けられていますね。
しかし、サイズを分類するのが目的なのであれば、A判B判と二本立てにする必要はないように思いませんか。
ではなぜ紙の規格はA判B判と2つに分けられているのでしょうか。
昔の紙の規格
A判B判の制定経緯を説明する前に、それ以前の日本では、どのような規格が使われていたのかを紹介します。
昭和初期には、四六判、菊判、新四六判、菊半截、三五判など、たくさんの種類の判が使われていました。
そんな中でも、「書籍には四六判」「雑誌には菊判」といったように主流はありましたが、同じ判でもサイズが微妙に違っているなど、正確性や統一性といった点で問題がありました。
そうして、紙の規格を統一しようという動きが強まっていきました。
A判ができた経緯
統一するにあたり、当時の人々は諸外国がどんな規格を使っているのかを調べました。
当時のアメリカやイギリスでは、もととなる大きな紙(原紙)の大きさだけを決め、それを何等分したかで紙のサイズを規定する、という方式をとっていました。
一方でドイツでは、原紙のサイズと、原紙を二等分していった用紙のサイズとの両方を規定するという方式をとっていました。
両者の方式を比べた結果、後者の方が正確性が高そう、と当時は考えられたようです。
また、ドイツ方式の中の「A5」というサイズが、日本の雑誌の主流だった「菊判」に近かったため、ドイツで使われていたA判の規格をそのまま日本でも採用することになりました。
ちなみに、現在の国際規格のA判でも、ドイツの規格がそのまま使われています。
B判ができた理由
上で説明した通り、A判を流用することで、従来の菊判に近いサイズの規格を作ることができました。
しかし、日本では雑誌は菊判が主流でしたが、書籍は「四六判」が主流となっていて、A判では分割の都合上、四六判に対応できませんでした。多くの人が慣れ親しんだサイズ感だったので、すべてをA判に統一、としてしまうと、混乱を招くおそれがありました。
そんな中で、A判の縦横比は維持して面積を1.5倍にした寸法を分割していくと、四六判に近いサイズを作れるということが発見されました。
これは四六判のサイズ感を残すのにうってつけだ、ということで、このA判の面積を1.5倍にした規格のことを「B判」としました。
つまり、現在私たちが使っているB判は、日本で作られたものだったのです。
おわりに
A判はドイツ由来でB判は日本生まれ、というのは意外だったのではないでしょうか。
それぞれの制定経緯を知ると、A判B判と二本立てになっているややこしさについても、もう少し寛容に受け入れられそうですね。