こんにちは。ライターのエポニムです。
みなさんご存じのように、俳句には季語が欠かせません。桜は春、紅葉は秋というように、季語は俳句の季節感を表す重要な単語です。
しかし実は、「花火」や「七夕」は秋の季語だとされています。これらは現代の感覚からすると違和感があるかと思います。
では、どうしてこのようなズレができてしまったのでしょうか。
今と昔の季節の違い
その答えは、ズバリ暦にあります。
かつての日本では1~3月を春、4~6月を夏、7~9月を秋、10~12月を冬というように、3カ月ごとに区切って季節を定めていました。
それに加えて、明治期に太陰暦(旧暦)から太陽暦(現在の暦)に変わったことで、さらに日付がまるまる1ヶ月ほどズレてしまいました。
具体的には、夏は太陽暦では5~7月にあたります。これは夏至が6月中旬に来ることと合致するので納得いただけるかと思います。
よって、旧暦7月に行われた花火や七夕は、秋の季語とされているのです。
季語の決め方
そもそも、季語は誰がどのようにして決めているのでしょうか。
これはズバリ一言で答える、というのが難しい問題です。
季語は「歳時記」というカタログにまとめられています。
そう言われると、百科事典のようなものを想像するかもしれませんが、それは半分正解で半分間違いです。百科事典にはすでに決まっている事柄が載っているのに対し、歳時記はそれ自体が季語を決定しています。
平安時代後期、歌人の源俊頼は、年中見える「月」を秋の季語として定めました。
その後、鎌倉時代から明治時代にかけて連歌→俳諧→俳句と発展していくにつれ、季語はより多く、より重要となっていきました。
これらの季語は、歳時記の作者が決めたとも言えますし、当時の世俗を意識したという点で当時の人々皆で決めたとも言えます。
これに倣うと、私たちが「花火」を夏の季語として使うことだって許されるような気がしてきます。
俳句を確立した正岡子規は、とある俳人からの質問に「歳時記よりも実情を優先せよ」という旨の返答をしたとされています。
これを聞くと、歳時記にとらわれて窮屈な俳句を詠むよりも、自由なのびのびとした俳句を詠んだ方が正岡子規にも喜んでもらえそうですね。