最初は7府3県だった
明治元年(1868年)、政府はかつての幕府の直轄地であった地域を、重要な地域は「府」、それ以外は「県」と定めました。
これにより、箱館府、東京府、神奈川府、越後府、甲斐府、京都府、大阪府、奈良府、度会府、長崎府が置かれ、その翌年には東京府、京都府、大阪府以外は「県」に改められました。
つまり、「府」と「県」は、重要かどうか、を基準に分けられたのです。
廃藩置県で大量増殖
さらに明治4年(1871年)、政府の令によって廃藩置県が行われました。
廃藩置県とは、字のまんまの意味で、藩を廃して県を置くこと。
最初は、かつての藩をそのまま県としたため、3府302県と莫大な数になってしまいました。しかし、少しずつ県の整理・合併を繰り返し、明治16年(1883年)には3府44県になりました。
そして明治19年(1886年)には、函館県・札幌県・根室県の3県を廃して「北海道庁」が設置され、これにより日本は「3府41県1庁」になりました。
そう、この時点では北海道は「道」ではなかったのです。
その後、大阪府から奈良県が、愛媛県から香川県が独立して「3府43県1庁」となり、現在の47都道府県の原型ができ上がりました。
この後50年ほどたった昭和18年(1943年)に、東京府とその中の東京市が廃止され、「東京都」が生まれました。
さらに昭和22年(1947年)には北海道庁が「北海道」と改称されて、「道」が生まれ、現在の「1都1道2府43県」が完成したのでした。