野球はもともと「21点先取で勝ち」だった?初期ルールに隠された意外な歴史
現代の野球は9回まで試合を行い、より多くの点を取ったチームが勝ちというのが常識です。
しかし、野球が誕生した当初は「21点を先に取ったチームが勝ち」というルールが存在したことをご存じでしょうか?
今では考えられないこの方式には、野球の誕生期ならではの背景と事情がありました。
初期の野球は「21点先取制」だった
野球のルーツは19世紀前半のアメリカで生まれた「タウンボール」や「ラウンダーズ」と呼ばれる球技にあります。
1845年にアメリカ・ニューヨークのアレクサンダー・カートライトがまとめた「ニッカーボッカーズ・ルール」が近代野球の原型とされていますが、当時はまだ現在のような回制ではなく、“21点を先に取ったチームが勝ち”というシンプルなルールでした。
つまり、時間やイニングではなく得点数が試合終了の条件だったのです。
「9回制」になるのはもう少し後のこと
やがて野球の人気が広がるにつれて、「21点先取制」では試合時間が極端に長引くケースが増えました。
そこで1857年、各クラブチーム代表が集まって開かれた「全米野球選手協会」の会議で、
「9イニング制に統一する」というルール改定が行われました。
これにより、「どちらが先に21点を取るか」ではなく、9回終了時点での得点で勝敗を決める現在の形式に変わったのです。
この変更が、現代野球のスピード感や戦略性を生み出すきっかけとなりました。
21点という数字の理由
では、なぜ「21点」だったのでしょうか?
諸説ありますが、有力なのは以下の2つです。
- カードゲームなどでの“勝利点”文化の影響
当時のアメリカでは21点を“勝ち”とする遊び(例:ブラックジャックなど)が多く、縁起の良い数字とされていました。 - プレイヤー人数(9人×2+審判など)に由来する説
「21」という数字が、試合に関わる総人数を象徴する“完全な数”とされたという説もあります。
いずれにせよ、当時の野球はゲーム的要素の強い娯楽であり、明確な競技ルールというより“遊びの慣習”に近かったことがわかります。
現代ルールに残る「21点時代」の名残
実は今でも、「21点先取制」の名残が野球の中にいくつか残っています。
たとえば、試合がコールドゲームや大量得点で一方的に進んだ場合でも、規定回数を満たすまでは試合を続けるという柔軟な姿勢は、この“点数で終わるゲーム”の文化を引き継いでいます。
また、「21」という数字は現在でも勝利数・打点・奪三振などの節目として語られることが多く、野球文化の中に象徴的に残っているのです。
まとめ:野球は“点数で終わるゲーム”から“時間で終わる競技”へ
野球が誕生した頃は、確かに「21点を先に取ったら勝ち」というルールでした。
しかし試合の公平性やテンポを重視する流れの中で、現在の「9回制」へと進化。
つまり、野球は点数で終わる“遊び”から、時間で区切る“スポーツ”へと成長した競技なのです。
