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豆知識

なぜ人はパリコレに憧れるのか?ファッションの都・パリの歴史を解説

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「パリコレ」と聞くと、華やかなランウェイや世界的ブランドのショーを思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、なぜ数ある都市の中でもパリで行われるファッションショーが特別視されるのでしょうか?その理由を探るには、パリとファッションの歴史を振り返る必要があります。

パリコレとは?

「パリコレ」とはパリ・コレクションの略称で、春夏と秋冬の年2回開かれるファッションウィークのことです。世界中のデザイナー、バイヤー、ジャーナリスト、モデルが集まり、新作発表や商談の場として大きな役割を果たしています。特に「オートクチュール(高級仕立服)」はパリでしか開催されず、他都市にはない特別な部門です。

パリがファッションの中心地になった理由

ルイ14世と宮廷文化

17世紀、ルイ14世は色彩豊かで豪華な装いを推奨し、宮廷内に厳格なドレスコードを定めました。ヴェルサイユ宮殿はフランス文化のショーケースとなり、ヨーロッパの王室がこぞってフランスのスタイルを模倣するようになります。

財務総監コルベールは「ファッションはフランスにとってのペルー鉱山」と表現し、服飾産業を国策として振興。こうしてパリはヨーロッパのファッションの都へと躍り出ました。

市民ファッションの発展

同時期、女性もドレス職人やファッション商人(marchande de modes)として活躍するようになり、リボンや香水といった小物の流行を牽引しました。上流階級や外国人もパリにショッピングに訪れ、街全体が「流行の発信地」として注目されていきます。

近代ファッションの基盤を築いたデザイナーたち

19世紀半ば、「オートクチュールの父」シャルル・フレデリック・ワースが登場。彼は職人を「デザイナー」という創造的な立場に押し上げ、顧客の要望に応えるだけでなく、自らのブランドとしてコレクションを発表しました。

また、彼やポール・ポワレらの試みにより、モデルが服を着て披露する「ファッションショー」という形式が誕生。1910年にはオートクチュール組合が設立され、現在まで続く年2回のショーの仕組みが整いました。

その後もシャネル、ディオール、サンローランなど、数々の名門ブランドがパリから世界へ羽ばたいていきます。

それでもパリコレが特別視される理由

インターネットや若者文化の発展により、ファッションの中心は分散しつつあります。しかし今もなおパリコレは「特別な舞台」として憧れの対象です。

その背景には、長い歴史の積み重ねで形成された「ファッションの象徴としてのパリ」というイメージがあります。パリという言葉自体が、単なる都市名を超えて「洗練」「シック」といった価値をまとっているのです。

まとめ

  • パリコレはオートクチュールとプレタポルテからなる世界的なファッションウィーク
  • ルイ14世の宮廷文化と国策がパリをファッションの都に押し上げた
  • ワースらによって「デザイナー」と「ファッションショー」という仕組みが生まれた
  • パリは実際の歴史とともに「象徴」として人々に憧れられている

つまり、パリコレへの憧れは、ただ服を発表する場という枠を超え、「ファッションの歴史と象徴性」を背負っているからこそ生まれているのです。

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