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豆知識

なぜ駅弁に“掛け紙”の文化が残るのか?広告と土産のデザイン史

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新幹線の旅や観光列車で買う駅弁。
ふたを開ける前にまず目を引くのが、彩り豊かな「掛け紙(かけがみ)」です。
近年はプラスチック容器が主流になっても、なぜこの紙文化は消えないのでしょうか?
そこには、印刷文化・広告史・土産文化が交差する、日本独自のデザイン的理由があるのです。

掛け紙の起源は「包装紙の代わり」

駅弁が誕生したのは1885(明治18)年、宇都宮駅。
当時は竹の皮や木の折箱にご飯とおかずを詰めただけで、
今のような外装パッケージは存在しませんでした。

そこで登場したのが、簡易包装としての掛け紙
箱の上に一枚紙をかけ、ひもで留めることで、
中身の保護・異物混入防止・見た目の清潔感を兼ね備えたのです。
つまり掛け紙は、包装紙とラベルの両方の役割を果たしていました。

印刷技術と鉄道網の拡大が「広告媒体化」を促進

明治後期から大正にかけて、鉄道が全国へ広がると、
駅弁は「旅の途中で買うもの」から「各地の名物を味わうもの」へと進化します。
この頃から掛け紙は、単なる包装ではなく**“広告ポスター”のような存在**に変化しました。

旅人に向けて駅名・名物・観光地を印刷し、
「この駅にはこの弁当がある」と記憶に残す仕掛けです。
掛け紙は、鉄道利用者向けの最小の宣伝メディアとして機能していたのです。

戦後は「土産」としての役割が強化

戦後になると、駅弁は旅の途中で食べるだけでなく、
「おみやげ」として持ち帰る文化が広まりました。
このとき掛け紙は、地域性と記念性を演出するパッケージデザインとして再評価されます。

富士山、名城、花鳥風月などのイラストが描かれた掛け紙は、
“どこで買ったか”がひと目で分かる旅の証
旅行者が家族に弁当を渡す際、その紙が思い出の象徴にもなったのです。

デザインの多様化とコレクション文化

昭和後期には印刷技術の進化により、掛け紙のデザインが多様化します。
イラスト・写真・書体などに工夫が凝らされ、
掛け紙を集める「駅弁掛け紙コレクター」も登場しました。

鉄道イベントでは掛け紙の復刻版や限定デザインが販売されることもあり、
単なる包装を超えた鉄道文化の一部として愛されています。

現代でも残る理由 ― 実用と情緒のバランス

現代の駅弁はシュリンク包装やフィルムパックが主流ですが、
多くの老舗は掛け紙をやめていません。
それは、紙一枚が持つ温もりと地域アイデンティティを表現するからです。

また、掛け紙の上に印刷されたロゴ・駅名・風景画は、
旅人にとっての「記念写真のような存在」。
機能面では不要でも、情緒的価値とブランドの一体感を守る意味があるのです。

まとめ

駅弁の掛け紙文化が残るのは、
包装・広告・記念という三つの役割を同時に担ってきたからです。

それは、鉄道旅行が単なる移動ではなく「体験」だった時代の名残。
掛け紙とは、食べる前から始まる旅の物語の第一ページなのです。

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