なぜ駅名に「前」「上」「下」が多いのか?地形と方角が作った日本の地名ルール
 
										全国の駅を見渡すと、「○○前駅」「上○○駅」「下○○駅」といった名前が非常に多く見られます。
一見なんてことのない接頭・接尾語ですが、実はこれらには土地の位置関係や歴史的背景がしっかり反映されています。
今回は、「前」「上」「下」が駅名や地名に多い理由を、地形と文化の両面から読み解きます。
「前駅」は“ランドマークの前”を意味する
「○○前駅」という駅名の多くは、
神社・お寺・学校・企業など、特定の施設の目の前にあることを示すものです。
たとえば――
- 明治神宮前駅(東京):明治神宮の参道入口付近
- 学芸大学駅(東京):旧・東京学芸大学の最寄り
- 病院前駅(各地):市立病院などへのアクセス地点
この「前」は、“〜の近く”よりも明確に「門前・入口」を意味しており、
江戸時代の「門前町(もんぜんまち)」文化の名残でもあります。
寺社の前には参拝者向けの宿や商店が集まり、
やがて「○○前」という地名そのものが定着。
鉄道開通時にそのまま駅名として採用された例が多いのです。
「上」「下」は“地形と流れ”を表す
「上(かみ)」「下(しも)」が付く地名は、
日本の地形と水の流れに深く関係しています。
古来、日本では「川の上流側」を“上(かみ)”、
「下流側」を“下(しも)”と呼ぶのが一般的。
たとえば――
- 上田駅・下田駅:川の上流・下流に位置
- 上野・下谷(東京):台地の“上”と“下”を指す
- 上本町・下寺町(大阪):地形の高低差に由来
また、「上」「下」は都(中心地)から見た方角を示すこともあります。
京都を中心に「上(北・都寄り)」「下(南・離れ)」と表す文化があり、
「上京区」「下京区」など、現在もその名残が残っています。
駅名に残る「旧地名」や「村の区分」の名残
鉄道が全国に敷かれた明治・大正期には、
すでに多くの地域で「上○○村」「下○○村」といった行政区分が存在していました。
そのため、新設駅には地元の既存地名がそのまま使われることが多く、
「上」「下」を含む駅名が全国に広がったのです。
たとえば――
- 上総一ノ宮駅(千葉県):「上総国の一ノ宮」に由来
- 下館駅(茨城県):「館(たて=城)」の下手に位置
- 上諏訪・下諏訪(長野県):諏訪湖の東西岸を区別
こうした地名の上下関係は地形・流域・信仰圏など、
その土地ごとに異なる意味を持っています。
鉄道会社が“混同回避”のために付けた例も
「○○前」「上○○」「下○○」の中には、
鉄道開業時に同名駅の重複を避けるために付けられたものもあります。
たとえば、全国に「八幡(はちまん)」「稲荷」「神前」などの地名が多く、
これらを区別するために
- 「○○八幡前」
- 「上八幡」
- 「下稲荷」
 など、位置関係を明示する形で命名されました。
鉄道黎明期は駅間が短く、同名が紛らわしかったため、
「地元での呼び名」をそのまま駅名に採用するケースが多かったのです。
方角・地形・信仰──“位置を示す文化”が作った地名
日本の地名には、「中心や基準となる場所」を起点に、
“そこから見てどの方向にあるか”を表す命名が非常に多いです。
| 接頭・接尾 | 意味 | 例 | 
|---|---|---|
| 前 | 〜の目の前・門前 | 神宮前、八幡前 | 
| 上(かみ) | 上流・北・中心に近い | 上野、上諏訪 | 
| 下(しも) | 下流・南・中心から離れた | 下北沢、下関 | 
| 東西南北 | 方角を示す | 東中野、西船橋、南千住、北浦和 | 
これらは地形・交通・信仰の三要素が組み合わさって生まれたものであり、
現代の鉄道網にもそのまま受け継がれています。
まとめ:「前」「上」「下」は“土地を説明することば”
駅名や地名に「前」「上」「下」が多いのは、
- 寺社・施設の位置を示す(前)
- 地形や川の流れを表す(上・下)
- 方角・中心地との関係を表す(上・下)
- 旧地名や村の区分の名残である
といった理由によるものです。
つまり、「前」「上」「下」は単なる飾りではなく、
その土地の位置関係を直感的に伝える“地名の方言”のような存在なのです。

 
																											 
																											 
																											 
																											 
																											