【謎】十二支はなぜ「鼠牛虎」ではなく「子丑寅」なのか?本当の由来を解説

十二支といえば「ね、うし、とら……」と動物を思い浮かべますが、実際に使われているのは「子丑寅卯……」という別の漢字。なぜ動物そのものの漢字ではなく、子や丑といった字を使うようになったのでしょうか?その由来をたどると、中国の古代までさかのぼります。
十二支の起源は古代中国
十二支の歴史は、中国最古の王朝とされる殷(約4000年前)にまでさかのぼります。発掘された甲骨文字には十二支のもととなる字が刻まれており、循環する順序を表すために使われていました。
当時の十二支は「子の次は丑、丑の次は寅……」といった具合に、暦や天文学において月や時を示す符号として用いられていたのです。つまり、この段階では動物とはまったく関係がありませんでした。
動物は“あとづけ”だった
十二支に動物が結び付けられたのは、殷の時代から何百年も後、戦国時代から漢の時代にかけてのことだと考えられています。
最初に存在したのは「子丑寅卯……」という記号的な文字。それを庶民にもわかりやすく伝えるために、覚えやすい身近な動物を対応させたのです。
- 子 → 鼠
- 丑 → 牛
- 寅 → 虎
- 卯 → 兎
- …といった具合に当てはめられていきました。
そのため、本来「子」に“ねずみ”という意味はなく、鼠という別の漢字が存在しているのです。
庶民にも理解させる工夫
十二支は暦や星の動きを示す専門的な記号でしたが、それを庶民に理解させるのは簡単ではありませんでした。そこで、誰でも知っている動物を結び付けることで「今年は鼠年」「今は午の刻」と直感的に覚えやすくしたのです。
この背景には、中国西方にあったバビロニアの天文学の影響を指摘する説もあります。
いまだに残る謎
とはいえ、十二支に動物が対応づけられたのは2000年以上も前の話。なぜ子が鼠で、未が羊なのかといった細かい選定理由は、資料が乏しく未解明のままです。
「植物の成長過程を表している」「人間の成長段階を示している」といった解釈も試みられていますが、決定的な証拠はありません。
おわりに
十二支はもともと暦や天文学のための符号であり、そこに動物が当てはめられたのは後の時代。つまり「子=鼠」「丑=牛」という対応は後世の工夫だったのです。
なぜその動物が選ばれたのかはいまだに謎の部分が多く、まさに歴史のロマン。もしかすると、この答えがわかるのは未来の大発見か、タイムマシンで過去を訪れたときかもしれません。