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豆知識

9.11同時多発テロで起きた日米骨髄バンクの奇跡の連携とは?

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2001年9月11日に発生した米国同時多発テロ事件。

実はこの日、日本の患者3人がアメリカからの骨髄提供を待っていました。空港閉鎖で通常輸送が不可能になる中、日米骨髄バンクは前例のない方法で危機を乗り越えることになります。

危機的状況にあった患者たち

事件当時、日本では3人の患者がアメリカからの骨髄液を待っていました。すでに「前処置」と呼ばれる造血機能を破壊する準備を終えており、予定通り骨髄液が届かなければ命に関わる危機的な状態でした。

しかし、テロ事件の影響で全米の空港が閉鎖。通常の航空便による輸送が不可能になったのです。

特別チャーター便による緊急輸送

この絶望的な状況の中、米国骨髄バンク(NMDP)が「チャーター機での運搬」を提案。日米双方の調整により、骨髄液を特別便で日本へ届ける決断が下されました。

  • 2001年9月15日午後7時24分:チャーター機が羽田空港に到着
  • その後すぐに骨髄液が患者に届けられ、16日未明には3人全員の移植が無事終了

まさに秒刻みの対応で、多くの命が救われたのです。

巨額の費用と募金活動

チャーター便にかかった費用は約13万5000ドル(約1600万円)。輸送決行時点では資金の目処は立っていませんでした。

しかし輸送完了後、骨髄バンクが募金を呼びかけると多くの支援が集まり、最終的には2000万円を突破。目標額を超えた分は普及啓発活動費として有効活用されました。

国境を越えた善意のリレー

この緊急輸送の成功は、米国のドナー、NMDP、日本の財団職員、多くの支援者の協力があってこそ実現しました。

「空港閉鎖」という未曾有の状況を前にしても、国境を越えた迅速な連携と人々の善意が、3人の命を救ったのです。

まとめ

9.11同時多発テロは世界に衝撃を与えましたが、その裏で日米骨髄バンクは見事な連携を果たし、患者の命をつなぎました。チャーター機での骨髄輸送は極めて異例の対応でしたが、募金を通じて多くの人々の思いが結集し、奇跡の成功につながったのです。

この出来事は、今も骨髄バンク事業を支える善意の象徴として語り継がれています。

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