昔は「道」で分けていた
645年の大化の改新後、朝廷は中央から地方を支配するために、日本をいくつかの行政単位に整理する必要性に迫られました。
そこで全国を約60個の「国」に分け、都に近い5つの国(五畿)以外の国を7つの「道」に分けました。これらは都から地方に向かう幹線道路を基準として分けられ、それが東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道になりました。
一方、この当時の北海道は朝廷の支配が及んでおらず、蝦夷地という扱いでした。
道から県になり再び道に
江戸時代後期になると、ロシアが蝦夷地を訪れて通商を要求するようになりました。鎖国を維持したい江戸幕府は、蝦夷地に幕府の役人を送って探検を進めました。
その後の明治維新で新政府が発足すると、蝦夷地を日本の領土とする政策を推し進めます。蝦夷地を明確に日本の領土だと示すため、新政府は蝦夷地を「北海道」と改名しました。
初期の北海道の開発は開拓使が中心になって進められましたが、1882年に開拓使が廃止されると、函館県・札幌県・根室県という3つの県が置かれました。
しかし3つに分割されることで、国の省庁などとの調整がうまく行かなくなり、結局4年ほどで3県は廃止され、代わりに内務省直轄の北海道庁が設置されて、統一的な開発が行われるようになりました。
この体制は戦後まで続きましたが、1947年の地方自治法の施行により、「北海道庁」は「北海道」にかわり、現在までその名称が続いています。